ブランドだと考える人間

2011.04.13

学歴社会が単に内容のない幻想だと思うことは、少し歪んでいるような気がします。学校側の努力をよく知り、学校とともに自分もその学校をよくしていこうという人間、学校の建学の精神を知り、自分もその実現を担いたいという人間を、学校側はほしいわけです。これとは正反対に、学歴社会に対する幻想だけをもち、単に入れ物に対するブランドだと考える人間、これは落ちて当然ではないでしょうか。自分がなんら努力することなく、その器だけを手に入れたいという人間は、学校側から見れば、感化することができないし、それを見て取り選考で落とすことは造作もないことです。落ちるには落ちるだけの理由がある、落とすには落とすだけの理由があります。私は多くの生徒を見ているのですが、学校の目の高さをつくづくと思い知るわけです。子供との相性、家庭との相性、家庭がめざすものと学校がめざそうとしているものの合一性や相違を見るにつけ、なるほどなあ、という感想をもちこそすれ、不信感をもつものではないのです。もう少し、人々は学校の努力を公に認めてもいいのではないでしょうか。その学校の努力が、現在の人気と評判に結びついていることを理解していただきたいと思います。
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