日本の化粧文化は白粉と紅にその歴史があったということはすでに述べたとおりであるが、明治時代のおしゃれの流行は白粉の厚化粧であった。当時の白粉化粧の模様を記した一節を夏目漱石の小説『三四郎』(明治四一年)にかいま見ることができる。三四郎が「下駄を買おうと思って、下駄屋を覗き込んだら、白熱瓦斯の下に、真っ白に塗り立てた娘が、石膏の化物の様に座っていたので、急に厭になって己めた」という件がある。このような白粉文化が華やかなりし時代であったが、一方では鉛中毒を引き起こすという恐怖の「白い粉」でもあった。明治中期における化粧品産業の歴史のなかで、近代化粧品工業へ転換させる重要な役割を担ったのが無鉛白粉の開発である。無鉛白粉はそれまでの鉛を含有した白粉と異なるものであり、現在のコンパクトタイプのパウダーやファンデーションを普及させることとなる画期的な出来事といえる。それまでの含鉛白粉による薬害と考えられる病気に、明治一〇年頃脳膜炎のような原因不明の病気が幼児のあいだで流行したことがあったが、確証はないもののその原因が「母親の白粉による鉛中毒が胎内の子供にまで影響しているらしい」という噂が医学者の間ではまことしやかに囁かれていた。この件について、『化粧ものがたり』の著者ビューティーサイエンス学会理事長の高橋雅夫氏は次のような調査結果を発表した。「後に大正一四年、京大の平井幾太郎教授は日本小児科学会で『所謂脳膜炎は鉛白粉が原因であることを裏付ける科学的な実証研究』を発表、母親の使用する鉛白粉に因る母乳からの鉛汚染結果と断定した」。ただし、この原因分析も大正末期に報告されたもので、当時は早くからこのように医学者から問題提起されてはいたものの、なすべき策がないままであった。
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