“愛法”とは、狙った相手の愛を得るためにする祈祷で、稲荷の神は、愛法の神と信じられていた。お稲荷さんのキツネは、キューピッドのような愛の神様と考えられていたのだ。老妻は、思いつく限りの「愛のまじない」を実践していた。化粧もし、夫にしなだれ甘えもした。にもかかわらずというか、だからというか、真冬の月や真夏の太陽のごとく厭われて、結果、嫉妬と怒りで、“生き乍ら大毒蛇”のような有様になるが、数人の子を生んだ母親であるために、夫もなすすべがないという。男性作者による、老妻のなりふりかまわぬ描写は残酷だが、しかし彼女がそのように嫉妬に駆られるのも無理はなかった。一夫多妻の当時、男にはほかにふたりの妻がいたのである。第二の妻は男と同世代。美人ではないがブスでもなく、夫に従順で、裁縫や家事全般に通じ、家を任されていた。問題は第三の妻で、彼女は権力者に縁のある宮仕えの同僚、働く女性だった。年は十八。美人で奔放。家事にはうといが、貧苦を気にせず浮世離れしている。彼女を見ると、男は憂いも怒りも忘れ、彼女に触れると痛みも癒える。で、夜を専らにして愛し、昼は昼に随ひて彼女のためには財も惜しまず、危険をも厭わず、雨風も憚らずというぞっこんぶり。こんな若妻がいては、老妻の必死の“愛法”が功を奏さぬのは当然ではないか。彼女が、かつては夫を財力で支えた美人妻だったことを思うと、いっそう哀れは尽きない。
[オススメ]
誰もが欲しい美容外科特盛り情報
今話題の美容外科総合情報
見ておきたい美容外科WEBマガジン